掃除をするなら、どうせならきちんとやりたい。中途半端に終わらせるくらいなら、最初から手をつけないほうがいい。そんな考え方で掃除に向き合っていた時期がありました。部屋を整えること自体は嫌いではなく、むしろきれいになった空間を見るのは好きでした。
ただ、完璧を目指すようになってから、掃除が次第に重たい作業に変わっていきました。時間を確保し、手順を考え、気になるところをすべて片付けようとするほど、終わったあとの疲労感が強くなっていったのです。
掃除を頑張ったはずなのに、達成感よりも疲れや消耗感が残る。その状態が続くうちに、「掃除=疲れるもの」という印象が強まり、掃除自体を避けるようになっていました。
この記事では、掃除を完璧にやろうとして疲れてしまった経験を振り返りながら、そこから学んだことを整理していきます。
完璧な掃除を目指していた背景
掃除を完璧にやろうとしていた背景には、「きれいな状態が正しい」という意識がありました。部屋は整っていて当たり前、散らかっているのは良くないこと、という価値観が自然と染みついていたのだと思います。
また、情報の影響も大きくありました。理想的な部屋や収納の例を見るほど、自分の環境との差が気になり、「ここまでやらなければ意味がない」という感覚が強くなっていきました。
掃除をする時間を確保する以上、無駄にしたくないという気持ちもありました。一度始めたら徹底的にやることで、次の掃除が楽になるはずだと考えていたのです。
しかし、生活は常に変化します。仕事や体調、気分によって余裕のある日もあれば、そうでない日もあります。その変化を無視して、毎回同じレベルの掃除を求めていたことが、負担を大きくしていました。
完璧を目指す掃除で起きていたこと
掃除を完璧にやろうとする中で、いくつか共通した問題が起きていました。
- 掃除のハードルがどんどん上がっていった一度きれいにすると、その状態を基準に考えるようになります。その結果、少しの乱れでも気になり、次に掃除を始めるまでの心理的負担が大きくなっていました。
- 掃除にかかる時間が読めなくなった完璧を目指すほど、「ここも気になる」「ついでにあそこも」と作業が増え、終わりが見えなくなっていました。
- 掃除後の疲労感が強く残ったきれいにはなるものの、体力や気力を消耗しすぎて、次の行動に影響が出ることもありました。
疲れが積み重なって感じた変化
完璧な掃除を続けようとした結果、掃除に対する気持ちにも変化が現れました。
以前は前向きだった掃除が、次第に「気合が必要な作業」に変わっていきました。掃除をする日を決めても、その日が近づくにつれて気が重くなり、先延ばしにすることも増えていきました。
また、掃除ができていない状態に対して、必要以上にストレスを感じるようになりました。少し散らかっただけで落ち着かず、自分を責める気持ちが生まれることもありました。
この状態が続いたことで、「掃除を完璧にやること」が目的になり、「生活を快適にするための掃除」という本来の意味を見失っていたことに気づきました。
完璧を手放して見えてきた考え方
掃除で疲れ切ってしまったあと、考え方を見直すようになりました。完璧を目指さなくても、生活は十分に回るのではないか、と考えるようになったのです。
- 掃除は調整作業だと捉える常に理想の状態を保つのではなく、困らない状態に戻す作業だと考えることで、基準を下げられるようになりました。
- その日の余力に合わせてやる余裕のある日は少し多めに、余裕のない日は最低限にする。その柔軟さが、掃除を続けやすくしました。
- やらなかった部分を責めない全部できなかったとしても、手をつけた部分があれば十分だと考えることで、気持ちが楽になりました。
まとめ|完璧を目指さなくても掃除は成り立つ
掃除を完璧にやろうとして疲れてしまった経験は、決して無駄ではありませんでした。その過程で、自分にとって無理のある基準や考え方が見えてきたからです。
掃除は、生活を快適にするための手段であって、消耗する原因である必要はありません。完璧を手放し、自分のペースを優先することで、掃除との付き合い方は大きく変わります。
もし掃除がつらいと感じているなら、一度「どこまでやるか」の基準を見直し、疲れない形を探してみてください。
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